昭和43年10月17日  夜の御理解



  私この昔聞かせて頂いた話しでございますけれども、あるあの大変お徳を頂かれた先生が、御本部に、大っ、え~団体参拝をなされたんですね、ところがあの汽車の中で神様からお知らせを頂かれて、「この汽車に事故が起こる」というお知らせを頂かれた、「だからこの次ぎの駅でその下りれ」とおっしゃったって神様が、「だからその私一人下りにいたしましょうけれども神様どうぞあの、お~これだけ沢山の信者が団体で乗っとりますから、どうぞあのおかげを頂かして下され、え~私がこうこう修行をいたしますから」と言うてもう機関車の次ぎの列車に乗り込まれて、一生懸命御祈念をなさったということですね、そして無事、その~御本部に着かれたというお話しを聞いたことがあるんですけれども、実は私今日、あ~、お直会少し頂いてからちょっと体がきつかったですから、高島さんが四時に、ちょっとすぎだったか、電話かかってたから私待ってたんです、待てでも待てどもこないもんですから、え~寝たいけれども休っ、その待っとったんです、そしたらようやく五時すぎみえましたから、ところがおかげでそん時にもう少しあの酔いも覚めて、おりましたけれどもとにかくあの疲れておるから、(?)てちょいと休ませて頂こうと思うてから、休ませて頂いたんです、休ませて頂いたらもう本当に休ませて頂いたらもう、休んだか休まんか分からないようなまあ時間でした、それであの、その、お夢ですねやはりやっぱ休んであるですの、頂きますのが、久富先生とあの若先生が、あの丁度神様へおすっ、お供えするのかなんか知らんけれども丁度ここんところの段々がありましょう、廊下からこの御広前へ上がって来る、あれをまあ(?)の高いぐらいな、そのこう段を、二人でこうものを担うてその、お~、久富先生が先頭、若先生が後ろの方へいのうてこう行きよるんですね、そしてその上にいくつもこう何かが乗っておるが、一番上にこれはあのさかっ、酒ガスだと言うてね、樽ずみのさかっ、酒樽が、(?)の上に乗ってる、それもやっとこうやってその、担うて行きよるのが、こう段々のところ坂になったもんですからね、その上のが「あらあら落ちる落ちるよ」と言う間に落ちて丁度、実際あんな事は無いでしょうけれども、夢の中で若先生がその頭にそれが落ちかかったんですね、酒ガスが、ですからその、それでその脳震盪起こしたごたる風で、もう倒れたんです、倒れたところがその、段の所でまたドォ~ンとこう響くような音で倒れたんです、そしてこう(?)になってしもうたから、私がその側へ行ってから、あの「若先生」っち言うてももう(?)もせんから、「金光様金光様金光様」っち言うて私が、その抱いたまま御祈念しよるところで目が覚めたんです、はぁこれは大変なことを頂いたなぁと思うてね、何故私はあの、すぐ起きてきてからお風呂入ったでしょうが、うん、だからあのこれは休んででもおられんと思うて、あの起きてきたわけでございましたけれども、したら今テレビ室でですねあの、見よったら、あの勝彦の高校生の友達が訪ねて来たと言うて、お茶でも上げよったんでしょうか、そしたら二人でこれは久留米でもまあ遊びに行こうというのでございましょう、あの「お金をくれ」とこう言うから、「お金は今日銀行へ全部持って行ったからないよ」と、「なら銀行から借って行きますから」そん時私があの人に、私はそんな時に悪い顔したことなかけれども、その事を頂いておるもんですからね、それこそ一遍言おうかとこう思うたんです、ですから今日はわざわざあの勝彦にさそうてから風呂も一緒に入ろう、あれも一緒に入ろう、もうそしてあの~、何か雰囲気があったら話しましょうと思うて、入ったけれどもそれが雰囲気がなかったもんですから、しっ、ところがそのいよいよ分からんまま、友達と遊びにでも行こうかというのに、金持って遊びに行こうというのに、私がそんなことを言うたらせっかく楽しいその、まあ友達ともどうこうわれんと思うてですね、あの申しませんでしたんです、でそれがその、今の事を私が思い出さして頂いてですね、あの人は何にも知らんで行きますから、まあ楽しいその中にまた、帰っておかげを頂きますようにということを願うて、言いもせず、う~、う~、あいっ、伝えることなしに、まあただ私がおかげ頂かせてもらったわけですけれどもね、こういう時にあのお互いの信心がですね、あの、それを言うたからと言うておかげにならんですね、言うたからと言うって、相手が本当にその気で受けてくれれりゃ良いですけれど、ね、そういう時にはやはりさっき始めに申しましたその、先生の生き方のようにですね、「それじゃ神様こうですから、私が修行いたしますから、どうぞそういう大難がかかってきておるならば、私に修行さして下さい、どうぞその事は、おかげを頂かせて下さい」だと言うたら、私はあの話そうかと思ったんですけれども、せっかく遊びに行こうというその雰囲気がね、そのためにまた、それを御神意を不愉快の方にでもとったらまあ大変だと思うて申しませんでしたけれどね、それがもうあんまり生生しゅう頂いたもんですから、そんなことでした、ね、皆さんでも、例えばこっち信心さして頂きよりますと、それこそお夢の中にでもお知らせ頂くことがあります、ね、ですから頂いただけじゃいかんですね、頂いただけではいけませんから、それをやはりお取り次ぎを頂いて願いをするなり、だけじゃいかんそのためのやはり修行さして頂きゃあね、神様が「こういう事が起ってくるぞ」というお知らせじゃないんです、「こういう事が起ってくるから、さあしっかり受け物を作ってこれを無難にでもおかげ頂けれるようなおかげを頂けよ」というお知らせなんです、良い事だって悪い事だって同じ事です、ね、良い例えばお知らせを頂いたから、というてただ良いお知らせ頂いたけん良か事が起ってくるだけじゃいかんです、良し神様がそういうおかげを下さるなら本気で頂こうという、あの久留米の石橋先生のね、あの「八百拍の徳を授ける」と、四神様の、お~、(?)からのお言葉を頂かれてから、それでそんなら頂こうという気になってその、石橋先生がそういうおかげを頂かれたようにですね、やはりそういうお知らせを頂いたならそこにたちにらなければいけません、ね、例えばなら悪い事の場合だってそうです、ね、例えば普通のこれなら運命なら運命の上ではそういうことになるようになってるんだ、ね、けれどもその運命を変えて行くのが信心ですから、そこんところを一段と私共の信心をですね、相手に言うこともいらん、そういうお知らせを頂いたのは私ですから、これは寝てどもおられんと思うて起きて神様にお縋りさして頂いておる内に、ちょい、そのおそらく(  ?  )行くでしょうがね、おそらくまあお酒の入る場所に行くに違いないですから、その本当にどういう事があるやら分からないのです、ね、そういたしますと、まあやっぱりこの心配ですけども、前に神様にお知らせを頂いておるから、なら親が代って修行さして頂きよっと、ということになるようですね、まあそういう大難がかかってきよっても無難のおかげを、または小難のおかげになってくるおかげを頂けれるわけです、ね、これは良いお知らせ悪いお知らせどちらだって同じ事、ね、だから良いお知らせを頂く、頂いたらそれを本当に頂こうという気にならにゃいかん、立ち上がらなければ、ね、悪いお知らせ頂いたけん、「はぁそげなん事が起って来るじゃ分からんけんあんた用心しなされ」と言うたじゃいかん、ね、そんならそれを受けさして頂けるだけの力をそれによって頂かにゃいけんということですね。                             どうぞ。


秋山誠輝
2005年4月25日